人気ブログランキング | 話題のタグを見る

草の根文化の苗床

makikohori.exblog.jp ブログトップ

パンを作りながら考えたこと

 
パンを作りながら考えたこと_a0301410_11582163.jpg
 
最近、天然酵母のパン作りを始めたらはまってしまった。まずはパンをふくらませてくれる酵母を飼いならすところからはじめる。といっても手順はいたって簡単で、干しぶどうを湧き水と一緒に瓶に詰めてまきストーブの煙突のそばの暖かいところに放置するだけ。しばらくすると、家がしずかなとき、グジュグジュと小さなつぶやきがどこからともなく響きわたるようになる。瓶の中に増えた酵母が、炭酸ガスをぶくぶく吹き出して、「狭いぞ〜」と蓋を押す声だ。この声のおかげで、酵母おこしをはじめてたことを、あらためて思い出し、蓋をあけて、空気抜きをしてあげる。しかし1日後にはまたつぶやきが聞こえはじめ、同じことを繰り返す。本当に生命力旺盛で、変化めまぐるしく、自己主張が激しいんだから。ものというより、生き物。食料を仕込んでいるというより、家の住人が増えたような感じだ。実際には、家のいたるところに、どこでも、何億もいるそうだが・・・。といっても環境が肝心。菌はやはり化学物質やコンクリートで固められた環境は嫌い。天然酵母のパン作りをきわめ、菌の声を聞くうちに、古民家に引っ越す必要を感じる人もいるようだ。岡山のパン屋「タルマリー」など、江戸時代の米屋に落ち着いたというが、そこでは、家の中に材料を寝かせてるだけで、家にすみついた麹菌がおりてきて、ふくらむのだそう 。菌は雄弁なだけでなく、いたってデリケート。美味しいパンが焼けるかというあくまで手前都合な不純な動機でも、真摯に対話を重ねるうちに、環境について、私たちの生き様について、本当にたくさんのことを教えてくれる。私がやっていることはといえば、干しぶどうを使うなら、オイルコーティングのしていない、良心的な生産者がつくった無農薬のものを選び、それを浸す水も水道水より、近くの泉から汲んできた新鮮な湧き水を使うことぐらいなのだけど・・・湧き水を使う、というのが実は非常な違いをもたらすらしく、以前水道水を使って同じように干しぶどうで酵母起こしをやっていたときには、1週間以上たたないと泡立たなかったのが、湧き水使うと、2日目にはぶくぶくいいはじめる。しかも、今は冬である。水道水中の塩素が、酵母にとって、相当、負担になっていたのか。湧き水のなかにもともといた微生物も、一緒に増えているのか、さだかでないが・・・いずれにしろ、私たちの生きる人工的な環境では少々難しくても、自然の中ではごくごく当たり前の状態を瓶の中につくってあげて、あとはポカポカ気持ちよい場所に置く。そんな本当にちょっとした心遣いなのだけど、これに大感激といった風体で、酵母は小さな瓶の中、爆発的に増殖しはじめ、瓶を振るたびに、勢い良く泡を吹き出したり、蓋を開けるたびに、しゅわっと弾け、かぐわしい匂いを運んでくれる。いたって表現力ゆたかなので、対話も飽きることがない。
 そんな酵母のようすを見るにつけ、人間は自然にずいぶんひどい仕打ちを与えてきたのだけど。仲直りして一緒に出直すのに、遅すぎるなんてことはないような気もしてくる。余計なものを入れたり、邪魔をするのはよすという、こんなに最小限の「あたりまえのこと」をするだけで、自然はおおよろこびで、ありあまるようなゆたかな世界をたちまちのうちに生み出して、私たちの生活をゆたかにしてくれるのだから。
 木村秋則は、『百姓が地球を救う』の中で、福島、宮城の自然栽培米からは、放射能検出がゼロであり、その理由として、自然栽培の水田には、おびただしい数の多様なバクテリアが棲んでいて、中には放射能を食べるものもあるからなのだろうと言っている。放射能物質の究極の処理方法としてそこから私が思いついたのは、一人でも多くの人が自然農業を始めて、国土全体の土壌を多様で豊富なバクテリアで満たすこと。そうして再生能力が高まってきた土地に、放射能汚染物質を、直接接しても健康被害がでず、またその土地の再生能力を超えないように少しずつ埋めこんで、自然の浄化力に処理をまかせていくやり方だ。それが本当に可能かどうか、私は専門家じゃないから定かなことは言えないけれど、日々の天然酵母パン作りで菌と対話を重ねていると、「きっとうまくいく」との妙な確信が湧いてくる。
 といっても、そんなことを言っている瞬間にも、化学物質や農薬は生み出され、土壌はコンクリートやアスファルトで覆われているのもたしか。自然の再生と浄化のプロセスの邪魔をしないだけこうしたまさに自然であたりまえのことが、今の私たち人間には、とてもできないできなくなったなんて、本当にどうかしている。しかもそれが、文明的な暮らしの結果だというのは、形容矛盾以外の何者でもないじゃないか。

 しばらくすると、干しぶどうがそろって湧き水の上澄みあたりにぽっかり浮いてくる。そろそろパン種に引っ越せる時期がきたという合図だ。というわけで、今度はこれまた近くの農場、メノ・ヴィレッジの無農薬有機小麦やライ麦粉を混ぜこんでいく。しかし酵母を粉に合わせる前に、私はまず、なめらかな触感をたのしみながら人肌くらいの温度になるまで、粉をそのままなでまわすことにしている。干しぶどうから、粉への環境の激変に、酵母がびっくりしないように。酵母とはここ数日ですっかり馴染みになったけれど、それと同じくらい、小麦粉の方も私と馴染んでくれるように。料理は自然と深く対話する良いチャンス。そのために自然をしっかり観察するのも必要だけど、向こうにもこっちの情報を伝えて、こちらのことを理解してもらうのがそれこそ自然だと思うのだけど、それをやっている人は少ない。シベリアの隠者のアナスタシアは種をまく前に、種を口にふくんで遺伝子情報満載の唾液で種をくるむのをすすめているが(そうすると、その人の体を癒してくれる作物が実るのだとか)、私の知っている例はそれくらいだ。
 そうやって粉を肌に馴染ませた後は、湧き水か、ライ麦が入っているときには水切りした後に残った豆乳ヨーグルトの水分(乳精)を、注意深く人肌くらいにあたためてから、瓶の中の酵母とあわせ、粉へとさっと混ぜ込んでいく、あとは陶芸をたしなんだことのある連れ合いのとしさんにまかせて、菊練りをしてもらう。塊がつややかになって、伸ばした時に向こう側が透けて見えるようになってきたら、そろそろこね上がり。こねた後のパン種は、これからの膨張にそなえて、じっと身構えている。あとは乾燥しないようにビニール袋をかけて、一晩寝かせておく。
 グリム童話に、貧しい靴屋のおじいさんのために、小人が夜の間、靴をつくってくれる話がある。朝起きていると、不思議や不思議、立派な靴が仕上がっているのだが、ちょうどそんな具合に、私が寝ている間に、酵母は本当によく仕事をしてくれる。ぷくぷくと泡をたてる舞台は昨日までは湧き水だったのだけど、今夜はパン種。彼らがこれまで泡立ててた炭酸ガスは、今やそのままパンの気泡になっていく。とはいえ、酵母の立場で言えば、いっそうのごちそうをむさぼりながらオナラや排泄物をせっせと出して、またどんどん生殖に励んでいるだけ。仕事をしているつもりはもちろん、ない。それが期せずして(?)、パンに甘みや酸味、コクを与え、美味しくしてくれてる。つまり、あくまで自分のために勝手にやってることが、他の誰かのために役立っている。自己実現的な協働や生態系の仕組みをも彷彿とさせる奥深いプロセスがそこにある。

 天然酵母のパン作りの極意は、私にとって、邪魔をしないで、おまかせするだけで、ありあまるお返しをくれる自然というこの「小人」と働く幸せと、不思議な感じのまぜあわされたものにある。パンの味わいを美味しくするのも、テクスチャーをふんわり、やわらかくするのも、そのほとんどが、酵母のお仕事、というか生態によっている。私のやることはといえば、酵母が気持ちよく、私の視点から「お仕事」として見えることに、せっせと励めるような環境をつくることくらい。もちろん最後に焼いて、食べるところをのぞいてだけど。酵母を気づかうことを忘れて、たとえば農薬や化学物質で汚染された材料を使ってしまったり、必要な温度管理を怠ったりタイミングを逃してしまったら、うまくいかないというとてもシンプルな言葉で、抗議してくる。そんな厳しいところも、もちろんある。実際、天然酵母でパンを焼くのはとてもデリケートで不安定なプロセス。その日の天気や温度や湿度にも左右され、同じ結果が出ることは二度とない。ある意味、難しいともいえる。ただ、だからこそ、気づきや学びの機会もふんだんにある。たとえば、どんなときに酵母が元気で、パンが美味しくなるかを注意深くみきわめるうちに、大自然をあまねくおおう相互依存、共存、多様性の中の調和の神秘の闇を、手探りで一歩一歩進んでいく。あるいは気前よく限りなくいのちを生みだしていくその母胎のうちをのぞきこむような心地がすることもある。
 ただ、基本は、気遣いをこめて観察し、丁寧に世話をしてから、あとは信頼してただおまかせすること。下手にいじくって結果をコントロールしようとすると、自然の側の仕事の邪魔をしてしまう。果報は寝て待て。あとは「小人」がやってくれる。力の入れ方と抜き方のこの呼吸も、パン焼きに限らずあらゆることに応用可能。学べば学ぶほど、奥深い。肩肘張って、一人でがんばっても、何にしろ、大したことはできないんだってことが、わかってくる。
 
 それでも、寝覚めた後、パン種の様子に小人の仕事ぶりを見るのは、何度やっても、わくわく、どきどき。むちむちに膨らんでいるときには、ホント、この世に欠乏があることが不思議で仕方がないほどの、ゆたかさの感覚、どっしりとした安心感がわいてくる。

 もし世の中が、天然酵母のパン作りのような、自然と対話し、協働することではじめて成り立つ仕事で満たされたら、どうなるだろう? どんなに自然が蘇っていくか、私たちが健やかになるか、そして何よりしあわせになるか・・・
by makikohorita | 2015-01-24 18:43 | ギフトとしての仕事
line

人を、社会を動かす文化発信力を鍛えるには? スピリチュアリティ、アート、アクティビズムなどについて、調査、実践してわかったこと、日々思うこと。


by 堀田 真紀子
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite