人気ブログランキング | 話題のタグを見る

草の根文化の苗床

makikohori.exblog.jp ブログトップ

6. つながりの感覚のよりしろとしての「愛の次元」

『アナスタシア』の中に、彼女の「愛の次元」の中で、すべての生き物がたてる音が、彼女の心臓の音と同じリズムを刻んでいるのに、ウラジーミルが気づく箇所がある。彼女の心臓の鼓動の間隔が変わると、それにあわせて、周りの自然が立てているすべての音も変わる。

「今から私の心臓の鼓動を速める。あなたのまわりで何が起こるかよく聞いていて」 アナスタシアの心臓の鼓動は速くなり、なんと、まわりの音もそれにあわせて速くなり、その音色も大きくなった。
「なんだこれは! すごい! 信じられない!」わたしは思わず叫んだ。「アナスタシア、それらはきみの心臓の鼓動にこんなに敏感に反応するのか?」
「そう、みんな、完璧にみんながよ。小さな草の葉も、大きな気も、虫たちも。彼らは私の心臓のリズムの変化にしっかり反応して答える。木々はその内部での作業をスピードアップして、さらにたくさんの酸素をつくりだす」
「人間のまわりにいる植物と動物はみんなそんなふうに反応するのかい?」と私はたずねた。
「そうではない。あなたがたの世界では、彼らは誰に反応していいかわからないでいる。あなたがたは彼らと更新しようとしないし、更新する目的もわかっていない。だから彼らはあなたがたに関する十分な情報を与えられていない。 これに似たことは、植物と、それを育てる人々との間で起こるかもしれない。私があなたに伝えた通りのことを彼らがすべて実行すれば。種に自分たちの情報をしみこませ、植物ともっと意識的に交流するということ。ところであなたは知ってみたい? 私とまわりの動植物との今のような交流を、自分が体験したらどんな感覚になるか」
「ぜひとも知りたい。でもそんなことができる?」
「私の心臓の鼓動をあなたの心臓の鼓動に合わせれば、あなたはそれを感じ取れる」 彼女は私のシャツの下に手をすべらせ、その暖かい手のひらを私の胸に軽く押し当てた。そうすることで、彼女の心臓の鼓動は徐々にそのリズムを変え、やがて私の心臓のリズムと同じになった。
 そして驚くべきことが起こった。私の中に、愛する親族や母親がすぐそばにいるような安心感、言葉にできないほどの心地よい感覚が湧き起こってきたのだ。体に柔らかさと健康がみなぎってきたような、魂に喜びと自由と宇宙への理解があふれてきたような、そんな感覚だ。 まわりの音の連なりは私をやさしく包み、彼らの知る真実を語っていた。私はそれを理解できなかったが、彼らが伝えてくるものを直感的に感じとっていた。
 それまでの私の人生の中で味わったすべての、喜ばしく陽気な感情、それがひとつに合流して美しい束になったような感覚。これこそがまさしく至福というものなのかもしれない。
 だが、この素晴らしい感覚は、アナスタシアが心臓の鼓動の速度を自分のものに戻しはじめたとき、消え入りそうになった。「もう少し、もう少し、アナスタシア、お願いだ」私は懇願した。
「そんなに長くはできないの。私には私の心臓のリズムがあるから」
「わかった。じゃあ、ほんの少しだけ」 アナスタシアはもう一度短く、その幸福感を呼び戻して私に送ってくれた。程なくしてその感覚は消え去っていったが、心地よく輝いていたあの感覚の断片は、記憶という形で私の中に残った。
                 『アナスタシア』217〜219ページ

  まわりの生き物と正しいやり方で日々交信すると、それらは、私たちの心臓の鼓動と同じリズムを奏でるまでになる!いうのは驚きだ。私たちにもそれができるかどうかはともあれ、その方向で次第に私たちと一体化しなじんでいく自然にかこまれた領域こそ、「愛の次元」つまり、私たちの本当のホームなのだという彼女のアイデアには共感してしまう。そんな真に自分の家とよべるものをつくるのに、私たちには本当になにもいらず、建物すらいらない。私と緊密な交信関係にあるこの自然の世界、私たちの庭さえあれば・・・というシンプルさも、実行できるかどうかは別として心魅かれるものがある。

  とりわけ興味深いのは、愛の次元にいるとき、私たちは自分の才能や可能性、つまり本領をあますことなく発揮することができると彼女が示唆するくだり。なぜなら宇宙の諸力がそこではあなたのもとにかけつけるからと。

  そこで宇宙の諸力がどんな具合にかけつけるかついては、まだまだ実感できてはいないもの、それもありえるんじゃないかと思っている。

よく、ここ本番というときに、呼吸をととのえろ、じっくり深呼吸して、おちつくといい、と言われる。
  私もそうしているが、そんなときに気づかされるのは、じっくりと呼吸することで、その場にぐっと根づくことができるということ。強力になった私の呼吸がまわりのものをぐっとつかみ、かかえこみ、味方につけているな・・・といった感触があるのだ。腹が座る•・・と言われている感触に近いのだけど、座ったその腹が、しっかりまわりのものとつながってる感覚もある。この感触が、手応えとしてつかめさえすれば、もう安心。実力を十二分に発揮することができる。

  逆に実力が発揮できない時は、緊張しすぎたり、あわてすぎたりしたせいで、「呼吸があっていない!」時なのだ。その例をあげれば、私の場合、枚挙にいとまがない。

 というわけで、私たちの庭は、私たちが本領を発揮する場。日々、草木に水をあげ、話しかけるのは、そのうちここから重要な仕事をするための基礎づくりでもあるようだ。

 重要な研究がなされる大学や研究所、重要な決定がなされる会議ホールのまわりが必ずと言っていいほど緑化され、木々や植栽で飾られているのは、私たちが本能的にでもそれを知っているからだといえるだろう。

といっても、それらの緑は、そこで働く本人と交信しながら育っていったものではない。その点、愛の次元というには程遠い。

では、自分と交信しながら育っていった植物に囲まれて、そこにどっしり根をはやし、じっくり呼吸しながら仕事したら、どんなにすごいことが成し遂げられるか、考えただけでもワクワクしてしまう。
by makikohorita | 2015-04-08 22:00 | アナスタシア
line

人を、社会を動かす文化発信力を鍛えるには? スピリチュアリティ、アート、アクティビズムなどについて、調査、実践してわかったこと、日々思うこと。


by 堀田 真紀子
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite