お金の価値保存機能も大事、でも、退蔵も問題
自給自足の独立感は魅力的だけど、自分ですべて作るのは大変だ。皆、得意不得意がある。得意なこと(たとえば絵を描くなど)をしながら、生活必需品(食べ物など)手に入れれば、それに越したことはない。交換しなきゃいけない。といっても、物々交換は、ニーズと提供できるもののマッチングが大変だ。自分が供給できるものが、生活必需品からかけ離れていればいるほど、安定した交換システムが必要になってくる。
そんなわけで、いつでも、どんなものとも交換できる価値の尺度(=お金)があると便利だってことに、皆、気づいていく。
つまりお金は人と人の間を動いて、人の能力、ものの価値を引き出し、必要な物資を必要な人にとどけ、ゆたかさをコミュニティに行き渡らせる強力なツールだといえる。
最初は、誰も必要とする主食(米、麦)、塩、布、家畜などが、お金代わりに使われていたけれど、耐久期限があったり劣化したりする難点あり。
そこで、なるだけ変化しない金属使用するようになる。
ただ、価値保存機能が高まりすぎると、今度はそれが、お金の停滞をまねくようになる。
前章で述べたように、紙幣や硬貨の形をとって、人の間を動く通貨は、それをもらって次の人に渡す行為そのもののうちに、ギブアンドテイクのバランス状態があるといえる。誰かに何かを<与えた>からこそ私たちは通貨をもらい、同等のものを誰かに<もらう>ためとき、この通貨をその人に渡すわけだから。
それをもらって、与え続け、人々の間を回っている限りそこに無数のフェアネスが出現し続ける。つまり回ってこそ、その役目を果たすといえる。
次のようなゲームを想像してもいいかもしれない。3人以上、なるだけたくさんの仲間が輪になって、みんな一斉にお財布から1万円札を取り出して、手にとったところ。最初はみんなそれをただ握りしめている。が、合図とともに、それをそばにいる人に手渡しはじめるとする。手渡された人は、即座にそれを別の人に手渡す。そうやってぐるぐるお金を回し続ける。そこで一人一人 が手にしているのは、同じ1万円。増えも減りもしない。でも、お金が動くたびに、あなたは欲しいものやサービスをお金を渡してくれる人に提供し、自分がお金を渡す人から手に入れている。お金が動くスピードが 早ければ早いほど、そこにいる全ての人は、たくさんのものやサービスを提供しては、獲得してる。つまり生産性豊かなゆたかな生活を手に入れているということになる。
食べ物は賞味期限があるし、ものも古くなって痛むので、一定スピードで人の間を移動せざるを得ない。でも、お金だけ腐らないし,朽ちない。価値も、通常は不変。とりあえずお金で価値を溜め込むと安心。
世情不安になるほど、蓄財欲が増し、お金が回らなくなり、不景気に。
腐らない、朽ちないどころか、銀行に預けると利子がついて、増殖するしくみになっている。これがお金の停滞をますますうながすことになる。
でも、人の間を動くから経済価値を生み出すのが、お金。
その点、示唆的なのが、シルビオ•ゲゼルによるオーストリア、ヴェルグルの実験だ。
ナチスが台頭する直前の経済的にどん底の時代、この街では、月に5パーセントずつ減価するお金を発行。他のすべての生き物と同じように、やがて朽ち、死んでいく、マイナスの利子がつく、オーガニックなお金。減価する日が近づいてくると、その前に皆、使おうと知るので、景気がとてもよくなったという。
減価する通貨には、他にも文化の発展を促す機能があると主張する人もいる。
朽ちるお金、マイナスの利子のお金を持っていると、それを逆に絶対価値を失わない物に変えたいという心理が働く。
例えば、今あるあなたのお金が、将来、インフレで紙同然になることがわかっていると、あなたはどうするか? 一番価値を失わないと自分が信じる物に変えておきたいと思うのでは? 金や、価値が不動の美術品を買うとか、手に職をつけるために使っておくとか。そうしたものの生産、取引が盛んになされるようになり、社会に有用な価値が満ち渡る。
マイナスの利子のお金は、中世のヨーロッパにあった。ゴシック教会のカテドラルの建設に代表されるような永遠性を希求する文化財が次々とつくられた背景には、このマイナスの利子のお金の存在があったと指摘する人もいる。
地域通貨にもスイスのヴィアなど、この仕組みを取り入れ一定期限がすぎると減価したり価値が消えたりするもの多い。
by makikohorita
| 2015-12-01 20:22
| ナウトピア 日本版