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草の根文化の苗床

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3. 11後のチャルカ運動

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                 (由仁ののんちゃんの畑) 
 チャルカ運動と同じ論法で、まず依存関係を断ち切ることで資本、権力からの独立するための道づくりをしている人たちはすでに何人かいる。たとえば、北海道の由仁町在住の早川利寿さん。彼の仕事は太陽光パネルを設置することだ。しかし普通の設置業社と違うのは、あくまで相手が自立する手伝いをするという信条から、設置した相手が自分任せにならないよう、太陽光パネルの仕組みやメンテナンスの仕方など徹底して教えること。また最新テクノロジーによる商品を売りつけるよりも、環境負荷をなるだけ押さえるという信条から、なるだけリサイクルのパネルを使い、バッテリーは車のバッテリーをそのまま転用しながら、どんなふうにDIYでつくれるかを教えたりする。その膨大なノウハウや技術で仕事を独占するどころか、最近めっきり忙しくなったので、自分と同じことができる人を一人でも増やすための教育に力を入れているともいう。
 つまり彼がやっているのは、一人一人がエネルギーに関して、電力会社にすべて任せっきりのこれまでの受け身で画一的なシナリオとはまったく別の、自分の頭や身体をつかって主体的にエネルギー源にかかわる独自のストーリーを生きることができるように、お手伝いをすることなのだ。そんな人を一人でも増やすために、日本全国を旅して回っている。パネルづくりのワークショップの他に、お話もされるが、そのエッセンスは何かと尋ねると、「エネルギーって自力で作れるもんなんだ」とか、「自分で作って、管理してはじめて身にしみてわかることだけど、使えるエネルギーには限界もあるわけで、その中でまかなうのがまた楽しいんだ」とか、「自分でできることまで、大きなシステムに頼りすぎてはないかな、そこから身を離してみると、見えてくるものがたくさんあるんだよ」とのこと。
 早川さんのバージョンはまた、チャルカ運動があえて手仕事やローテクにこだわることで、個人から制御できる範囲から技術が離れないようにすることが、今日という時代にもつ大きな意味についても考えさせてくれる。
というのも、原発をはじめとした核技術のそもそもの問題は、地球の全生命に甚大な影響力を及ぼすにもかかわらず、私たち人間がそのすべての過程を制御できず、したがって責任をとることもできない技術をそれでも扱いはじめたことに発しているからである。そんな無責任なことが平気で出来る背景には、ハイテク盲信の集合的なマインドセットや先述のお任せ体質があるわけだが、それを認めた上で、何とかこの状況から脱出しようと思えば、自分で制御できる技術を選択するしかない。
 早川さんが設置するパネルはまたすべてオフグリットである。つまり、原発の方にお金が流れる可能性がある限り、主要電力会社から電気は極力買わないだけでなく、経済的には美味しい余剰電力の売電政策にも参加しないというもの。これは一見、電力会社に対して、反旗を揚げるようにみえる。しかしその意図は、敵対にあるというより、「助けてくれなくても大丈夫です」と言ったスタンス、つまり依存関係の断ち切りにある。そうしてはじめて、エネルギー消費に関して、今のような電力供給を独占する会社に生命線を握らせる以外に他の選択を許さない強制的、依存的な関係以外の対等な関係を彼らとも打ち立てることができる。そのため、とりあえず、オフグリットにして、この巨大システムに全的に依存した状態から、自分の身を切り離す必要があるというだけなのだ。
 もう一人、私にたまたま身近な人として、3.11の後、二人の子供と一緒に福島第一原発八〇キロメートル圏内にあった家から北海道に移住してから、お話会やカフェ運営、自給自足的コミュニティづくりをはじめた飛澤紀子さんがいる。移住を決意したきっかけは、「安全だ」という政府の言葉を信じて、外で毎日、野良仕事をしていた父が、事故の半年後、悪性リンパ腫を患い、急に亡くなったこと。自分も心配になってがん検診に行った時、父が一週間前に亡くなったばかりだと話すと、医者は「悪性リンパ腫か、多いな」とふと漏らしたという。しかし誰もそんなこと、聞いていない。子供の避難基準、20ミリシーベルトという法外な高さに定めた条例の撤回のために、福島から霞ヶ関へ文科省の責任者に会いに行く親のグループにも加わったという。しかし面会を約束していた大臣はおろか、責任者らしい人も現れず、応対してくれた人たちに質問をぶつけても、逃げ口上のような言葉が帰ってくるだけ。次第に怒号がとびかいはじめる中、彼女は一言だけ、文科省の役人に「あなたが個人としてどう思うか、聞かせてください」と質問したが、答えはなかったという。その時、もう一つ印象に残ったのは、一緒に福島からチャーター・バスで霞ヶ関へ向かったおじさんが、その時、彼女に、「俺たちの子供達は文科省に殺されるようなもんだな」と漏らしたこと。彼に限らず、帰り道、一緒に福島から出てきた人たちの多くは、「自分たちは国から見捨てられたんだ」という気持ちを共有していたという。ただ彼女が思ったのは、でもそれは、国に自分たちの生死をあずけ、「お任せ」するのが前提になっている。「個人としてどう思うか」を一言も言えないような人たちによって動かされてるこんな非情なシステムに、どうして大切な子供達や自分たちの命を預けたりできるだろう?自給自足的なコミュニティをつくる構想の背景には、この体験が大きいようだ。無農薬自然農法で畑作りをはじめて、これで3年目、着々と成果をあげている。
 ガンジーの精神にのっとって、とことん非暴力なまま独立状況をつくろうとする。敵対関係の代わりに、依存関係を断ち切りと、代替物を自分の手でつくるDIYの独立精神をあてるところが二人とも共通している。飛澤さんは、あれだけの目にあいながら、怒りをぶつける運動は類の一切関わらない、ただ、今のシステムから可能な限り独立した新しい世界をつくるのに集中する非暴力を貫く点で、徹底している。彼女を私が主催する草の根文化研究会に招いた時のお話のタイトルは「3.11を希望の日に」というものだった。後から、これがいい転機となり、いい世界がつくれた、という意味で「希望の日」と呼んだのだが、もちろん、そうするのは、私たち自身なわけで、これは決断の言葉でもある。
 「すべて自分でやる!」といっても、そこにも協働や贈与はふんだんにある。が、それらの多くはしかし、自分の足で立つ独立のための支援のかたちをとる。ざっとこんな具合に、古い世界はそのままにしながら、そのただ中に、新しい世界を着々と築き上げていくのである。そちらの方も機能するし、理にかなうし、持続可能、何より人を根本的な意味でハッピーにすることに、やがて皆が気づけば、今は古い世界の側にいる人も、少しずつこちらの仲間に加わっていくだろう。そうこうするうちに、まったく無血のまま、勢力関係が逆転する日も来るかもしれない。それがチャルカ運動方法である。
 チャルカ運動のこの見取り図は、行き過ぎた資本主義の権力から私たちが可能な限り独立して自律的に生きようとするとき,今なお応用できる。権力と直接闘うのではなく、それに対する依存度を下げていく。代わりに、なるだけ自力、あるいは顔の見える関係の直接的なやりとりでまかなうシステムをつくり、独立の基盤とする。ローテクでスローでへたくそでもいい。重要なのは、生産と消費の前プロセスを自己決定し、掌握し、また責任をとることだからである。一番肝要なのは、生産・消費のどのプロセスのどこであれ、コントロール、搾取が忍びこむあらゆる仲介者の入る隙間をふさぐこと。とくに「うまい話」は疑ってかかる。というのも、「あなたの繁栄のためです」とすりよりながら、次第に私たちを依存状態に陥れ、やがて、そのやり方では私たちはかえって損する一方、それどころか危険・有害だということに気づいても、時、すでに遅く、他のやり方をする選択の余地は失われている―—というのが、これまで何度も繰り返されて来た支配のシナリオだからである。とわかれば、その逆をやればいい。生命線に関わるような必需品は人任せにせず、なるだけ自分たちの手で、その場でつくり、その場で即、消費する。仲買も流通も最小限にして、手作り、地産地消、顔の見える関係の中でまかなわれているという直接性と、全員が小規模分散の企業主であるという自律性で生産と消費のプロセスをびっしり覆えば、それが、搾取や操作をはねつける何よりの防御幕となる。
by makikohorita | 2015-12-02 14:34 | 新しい世界をつくる!
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