人気ブログランキング | 話題のタグを見る

草の根文化の苗床

makikohori.exblog.jp ブログトップ

私たちにだって独立運動が必要だ!

私たちにだって独立運動が必要だ!_a0301410_14382827.jpg
 今の世界、チョイスがあるように見えて、実は「させられている」ことって多い。最近、札幌で上映会をさせていただいたドキュメンタリー『都市を耕す〜エディブル・シティ』を参考に、食を切り口にしてこのことを考えてみよう。

スーパーには、いろんな種類のたくさんの食べ物が溢れている。でも、いったん「食品添加物」「農薬」「遺伝子組み換え」の有無をチェックして、本当に信頼できる、安全なものを買おうとすると、買えるものが全くなかったりする。

つまり、選択肢がごまんと広がっているようで、実はそうではなく、企業の利潤最大化原理の中で作られたという点では同じものが、品揃えゆたかにで、並んでるだけ。
選択肢の広さは見かけだけで、私たちは危険な食べ物を買わせられているといえる。
その帰結は、アトピー、アレルギーの問題のある子供の数を見れば、一目瞭然。
つまり、どんなふうに作られたどんなものを食べるかについて、ほとんど自分で決める権利をもっていない。「食の主権」が民衆にないってこと。よくよく考えれば、異常だ。

同じことは、衣・住に関してもいえる。環境、人権、安全を真面目に顧慮しようとすると、選択肢、どんどん狭まっていく。フェアトレード商品などでてきたとはいえ、どれだけ生産者にお金が行っているのか、、人権無視した生産をされていないのか考えはじめると、買いものも楽しめなくなってしまう。電気をはじめとしたエネルギーも、自由化とともに希望がみえてきたとはいえ、ずいぶん長らく、特定会社の原発からくるものを「買わされ」てきたという点では最たるものといえるかも。

地域格差もある 由仁町のような一大農業生産地で、安全安心な食べ物が買えない矛盾もある。無農薬栽培の農家、たくさんあるのに。由仁町の某無農薬有機栽培のアスパラ農家で、お宅のアスパラ、買えますか?」と聞くと、札幌と東京の自然食品店に出しているとのこと。食の安心安全に気遣い、それに余計にお金を払うことができる高収入の人がたくさん住んでいるところに行ってしまう。資本主義体制下では、どうしても、利益があるところに商品やサービスが集中してしまうため。人口が少なかったり、平均所得や情報量が少ない地域は、ますます選択肢がせばまっていく。これもおかしい!
お金と人がいるところ、購買力のあるところに資本も商品・サービスも集中せざるを得ない資本主義下では、都市と地方の格差が拡大するのは、なにも食に限ったものではない。民営化とともに、田舎では鉄道路線がどんどん廃線したり、本数が減って、ますますお金も人も出ていってしまけれど、直接人の体に入るものだけに、切実。

「食の砂漠」と呼ばれるこの問題は、アメリカでは、ずっと進んでいて、オークランドの多くの地域のように、低所得者しかすんでいない地域では、食べ物といえば、量産の加工食品がちょっと置いてあるだけ、しかも割高の小売店しかない地域が延々と広がっていて、新鮮な野菜や果物を買うには、車で何マイルもドライブする必要があるところまでいっている。その結果、こうした地域は、肥満の人の割合がとても高かったりする。これらの地域は特定の人種の住民が多いことから「食のアパルトヘイト」とも呼ばれている(『都市を耕すーーエディブル・シティ』より)

貧しい人ほど食品アクセスの選択肢がせばまるのは、今日始まったことではないけれど、地域や人種格差、それぞれの住民の一目瞭然の体型の差として、構造化されるところまできわまったというのは深刻。「食の正義」の問題とも呼ばれている。

解決策として「自分でつくる」 第二次世界大戦中や後の食料不足のとき、アメリカでは空き地をつかって食料を自分の手でつくる「ヴィクトリー・ガーデン」が全国に広まった。同じ伝統を復活させよう。当時は、戦争のせいで「食べ物そのものがなかった」のに対して、今は行き過ぎた資本主義のせいで「まともな食べ物がない」からという違いはあるけれど、同じ運動を復興しようと今、全米各地に広がっているのがコミュニティ・ガーデン。サンフランシスコのような先鋭的な地域では、市所有の空き地を、市民がどんどん食べ物を植えてもいいという条例も通した。
by makikohorita | 2016-03-29 14:42 | 新しい世界をつくる!
line

人を、社会を動かす文化発信力を鍛えるには? スピリチュアリティ、アート、アクティビズムなどについて、調査、実践してわかったこと、日々思うこと。


by 堀田 真紀子
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite