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草の根文化の苗床

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ギフト・エコノミー

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「自分でやる」領域を少しでもひろげようとするDIYは、依存や隷従をひろげる。行き過ぎた資本主義システムからの独立と自由を勝ち取るためのナウトピアンの秘密兵器。けれど、それに成功して、資本主義システムからの独立度が高まれば高まるほど、それに代わる生き方の選択肢として、彼らは次第に、今度は自発的になされるたすけ合いや自然のめぐみからなる別のシステムと深く関わるようになる。ギフト・エコノミーだ。

そこでの合い言葉は「おかげさま」とか「ありがたい」とか「生かしてもらってる」など。ようするに、「自分でやれ!」といったDIYの精神とは一見正反対の様相を見せる。けれど、DIY精神は、あくまで、「誰にも迷惑かけないように」心がけ、なんでもお金で解決する代わり、企業にだけはどっぷり依存した生き方から距離を保つためのもの。そこから身をもぎはなさないと、自然を持続不可能に痛めつけたり、「贈る」よりも「取る」ことばかり考えている既存のシステムにどうしても加担してしまうことになる。

でも、そこを卒業して、一つ一つ自分にできることが増えていくにつれ、次の段階として、それで「人の役に立ちたい!」と思うようになる。すると自然に、助け合いとギフトの暖かい世界があらわれる。困った時にはまず、業者に電話する代わりに、とりあえず、お友達に相談してみよう、あの人、こういうこと得意かも・・・というふうに。

ギフトの根っこ***
ギフトとはまず、誰の頭上にも降り注ぐ、太陽の光や雨に代表されるような、無条件の自然のめぐみ、神の贈り物のことをさす。これらのギフトあってこそ、私たちすべて、そもそも生きていける。全生活の基盤はこれでできているのだけど、その気前の良さ、ゆたかさ、与える相手を全く選ばず無差別なところが、すごい。もし人間がやってたら常軌を逸したものに映るはず。にもかかわらず、それは文字通りごくごく自然になされる。春は花々咲き乱れ、実りの秋にはどっさり果物が実るように淡々と、行われる。その様子は、私たち人間がなすすべてのギフトの鏡だ。また、このギフトを複雑に相互作用させながら、ゴミも出さず、すべて利用し尽くす循環の中で、持続可能に、あまねく行き渡らせていく生態系の仕組みは驚異的だ。

ギフト・エコノミーとは、このような自然のシステムを、なるだけそのままのかたちで人間の社会にも持ちこみ、延長させていくこころみだ。雨を降らせたからといって、太陽光を注いだからといって、自然はお金もあらゆる代償も一切取らないように、見返りなし、無条件にものをあげる。そんなことやって大丈夫なの? もらう一方で逃げてしまう人がでたらどうするの? と思われる方もいるかもしれない。「取る」「取られる」という発想で考える限り、交換がフェアになされるかが気になる。でも、「与える」ことが主体のギフトは、これとは全く別の原理で動く。

ギフトと交換は別の原理で動く***
この辺をはっきりしてくれるのが、ルイス・ハイドは『ギフト―—エロスの交易』の中で、等価交換はふつう、損得勘定がバランスすることで、決着がつき静止する性質を持つ。しかしギフトの贈与の際には贈り贈られた瞬間、勢いが生じ、贈与の輪が連鎖的に続くエネルギーを解き放つと述べた。 

動機が純粋になり、贈ること自体が自己目的の、見返りを求めぬギフトであればあるほど、そこで生まれる関係は、個人的なものになり、贈るよろこびも、贈られるよろこびも、最大化される。そのよろこびが、自ずとなされるお返しを動機づけるし、贈るよろこびの味をしめた人の更なるよろこびを動機づけていく。これこそ、旧い世界をつくる「利潤原理」に代わり、新しい世界をつくるインセンティブをなすもの。自己実現のよろこびとならんで、この与えるよろこびこそ、ナウトピアンたちを捲まず撓まず、せっせと働かせるエネルギー源となるものだ。
 
ギフト・エコノミーの流れを物質的なモノがめぐるとき、もちろん、そこには物質界の法則が当てはまる。ようするに、モノは手放しただけ減っていく。人の間をめぐる間に、破損、消耗はまぬがれない。でも、このモノと一緒にめぐる、気持ちや自信、能力の方は、ギフトが人の手から手に渡るにつれて、膨らみ、増大することしか知らない。こちらに注意を払えば払うほど、モノの方は、それをあらわす一種のシンボルにすぎなくなる。減ろうが、大したことない。それにあまりあるものが、私の中に残るから。多少壊れようが、大したことない。それが思い出を呼び起こし、味わいぶかくしているから。そうしてだんだん、まさに「お気持ちだけ」もらってもらい、いただく世界に、私たちは突入していく。

ギフトはつながるをつくる***
ギフトにはまたコミュニティ形成作用もあり、バラバラな人々や、バラバラな労働を一つにつなぐ働きもするとハイドはいう。等価交換の場合、二人の人は必要のために交換しているにすぎず、損得がバランスして、双方納得すれば、そこで関係はふつう解消される。つまりそこでは、二つのものも人も、バラバラなまま。分離のパラダイムが前提となっているといえる。これに対して、ギフトの、真心からなされる贈り贈られるよろこびの連鎖の興奮が通った後、人々はとても仲良しになっている。なぜか。ギフトの贈与にともなうよろこびは、互いが互いを増幅しながら、一つの大きなよろこびへと溶け合う性質を持つからだ。下心なく贈るよろこびが、まずは受け手のよろこびをよびさまし、それを目にすることで、自分のよろこびも増幅する・・・といった体の、 恊働にともなう相互的な鼓舞、感謝の贈り合いの伝染がある。そこでは与える喜びが受け取る喜びをしのぐことや、与えながら自分が実際自分が与えているのか受け取っているのか、定かでない気さえすることさえしばしばある。理想的な贈与の輪の中では、与えることと受け取ることは、未分化な、同じ一つのことなのだ。こうしてギフトは、バラバラになりがちな人々を、感謝と愛情の輪でつなぐ。

ギフト・エコノミーのまなび***
たとえば、受け手の側には、ただもう感謝する気持ちのほか、その前段階で、助けが必要な弱みを正直に見せながら、助けてくれる人におまかせする信頼感が必要だ。人によっては、まずはここが難しい。「甘えるわけにはいかない」とか、「迷惑かける気はない」とか、いろんなもっともな言葉で辞退するのだけど、奥にあるのは、一種のおそれ。でも、ギフト・エコノミーの実践で、少しずつでもこの不信のブロックを取りのぞいていくことができれば、人生一変するのはうけあいだ。困ったときに、助けてくれる人は現れるものなんだ。こうしたギフトの流れの中に身をおく限り、私たちは思ったよりも、ゆたかで欠如を知らない世界に住んでいるんだというなんとも言えない安心感が湧いてくる。私の場合は、健康状態まで良くなった。人に信頼しておまかせできるようになるにつれ、自然治癒力をもたらす気の流れにも、ひらかれていくからだ。 

ギフトを贈る方には、感謝されるよろこび、人の役に立てたという自信、この実践で動員されるスキルや知識もパワーアップする。人によってはこれがまたとても効くこともある。

贈り手のパワーアップという点で、一番すごいのは、giftという言葉が、贈り物という意味と並んでもう一つ持っている「才能」を贈ること。その人が一番向いた、本領を発揮できるフィールドで、その人にしかできない、その人ならでは、の個性的な貢献をすることだ。「取る」のではなく、まず「与える」のがモットーのギフトは、交換につきものの値踏みや競争関係につきもののジャッジメントが入りこみにくい分、自由で、成功しなきゃといったプレッシャーも少ない。これをうまく利用すれば、とっても個性的な表現もできるはず。

才能としてのギフトは、文字通り天与のもの。神さまからの贈り物だ。

「根っこ」に立ちもどることで、ギフトの輪を蘇らせる***
これに限らず、ギフト・エコノミーを生まれたばかりのようにみずみずしく、健やかで、活気ある、ゆたかな状態に保つには、やはり、そのお手本である神さまや自然のギフトの「根っこ」に、いつもしっかり根ざしながら贈り合いを続ける必要があると思う。

というのも、ギフト・エコノミーを続けていると、どうしても、これを「交換」として受け取る「エゴとしての私」が、もくもくと頭をもたげてくる。それにつれて、不公平感から、「私ばかり与えてる」自己犠牲感、疲れ、怒りといった暴力を潜伏させてしまう可能性がある。

そうした暗雲を振り払うために、最低限のルールを決めるのも、一つの手だと思う。でも、より根本的には、ギフト・エコノミーの「根っこ」をなす、太陽はどんな人の頭上にも光を与え続け、何の代償ももとめないこと。魚は泳ぎ、鳥は飛び、花は咲くというふうに、自然界のすべての生き物は、自然なままに振舞いながら、相互作用し、循環し、全体として調和と美を保っていることを思い出すことが一番だと思う。そこにあらためて手本を求めながら、自分のギフトも、その延長上にあるようにすること。そうすることで、このギフトの「根っこ」から汲み上げられた力が、ふたたびみなぎってくる。

才能のほかにも、贈り手の存在全体が伝わるならば、それはその人の中の神的な部分に根ざすので、この「根っこ」から汲み上げた力を、受け手に、また贈り手自身に、またその場を共有する人々に放射できるように思う。たとえば、贈り物にこめられた意図、いわゆる「気持ち」と一緒に、その人の人となり、健やかさや美しさ、無邪気さといったその人の「魅力」も一緒に伝わるもの。あるいは贈られる人と一緒に共有した時間を背負いながら、「今、ここ」にある、このコンテキスト全体を、一見それが、パーフェクトとは言えない問題だらけの状況でも、そこに調和と美を見出すのをたすけ、すべてをあがなう贈り物などなど。たとえば仲直りのための贈り物。平凡にしか映らなくなった共有の日常の中にかくれたよろこびにあらためて目を見開かせるものなどなど。

すこやかでゆたかなギフトエコノミーのなかでは、贈り物を受け取る方も、自然のギフト、天与のギフトといった、すべてのギフトの「根っこ」から、ふつふつと湧き出る力への感受性を研ぎ澄ませていくことが求められる。それは感謝する力だ。その感度が高まるにつれ、どんなささいなものも、塵も、道路にこびりついたチューインガムも、天国の影のさす美しさをたたえて見えてくるようになる。そうなると、何でもただただ、ありがたい。そうなってくると、その人は、受け手のみならず贈り手としても、この「根っこ」が透けて見えるものばかりを贈ることで、心底皆を喜ばせるギフトの名手になるはずだ。

いずれにしろ、ギフト・エコノミーは、なんでもお金で解決する行き過ぎた資本主義社会の中で心むしばまれ、不信や無力感にさいなまれる人たちに必要なまなびを提供する、とっておきの処方箋になるのは請け合いだ。
by makikohorita | 2016-07-30 10:28 | 新しい世界をつくる!
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