手放せば手放すほどゆたかになる不思議
時空の宿の大きな庭
仕事を辞めてから、一つ新しく学んだことに、計画を立てるのをやめたことがある。
きっかけは、今年になってから始めている『奇跡のコース』のワークブックレッスン。これは、1年を通して、毎日、与えられた題目について瞑想し続ける、瞑想マラソンのようなもので、最初は朝夕1分ずつの指定が、少しずつ長くなって、今、私がやっている半分をちょっと過ぎたところでは、1時間ごとに5分やることが求められている。ここまでくると、かなり意識が変化してくるので、次にはどんな状態が待っているか、面白くてやめられなくなり、今に至ってる。
その瞑想のお題目の中に、計画を立てることを放棄しなさい、というものがあった。計画を立てようとするのは、物事をコントロールしようとしてやまないエゴの仕業だからだとか。書き込みでびっしりのスケジュール帳をいつも持ち歩いていた私としては、ショッキングなレッスンだったけれど、その分、先に何が見えるか、好奇心が湧いてきたので、厳密に実践してみた。
特に面白かったのは、計画を立てないと、暇で仕方がなくなるかというと、全然違うこと。
計画するのをやめた空白をねらって、やるべきことが、向こうからやってくるからだ。それは1時間ごとにやる5分瞑想の後だったり、夜はっと目が覚めた後だったりするのだけど。そこで思いついたことを一つ一つやるだけで、すぐに日が暮れてしまう。
これに対して、計画通り、与えられた注文通りにいざ何かやろうとすると、なかなか進まず苦しい作業になることが多い。
でも、その時その時に閃いたことをやるという、このやり方ですすめると、とにかく楽に、流れるように進み、渡りに船のようなシンクロニシティも起きやすくなるし、まず、息詰まるということがない。計画を周到にして、1日1日のノルマを決めて仕事をしていた時よりもずっと生産的になってる。
また、人との約束をすっぽかすようになるかというと、そうでもない。逆に、その一つ一つが、乙姫が年に一度、牽牛に合うような、待ちわびた感動的な祝祭のように思えてきて、身構えているので、忘れようがない。
信頼して手放すことでできた空白ほど、ゆたかなものが宿るところはないことには、本当に驚かされっぱなし。
これには、豊かさを追うのを放棄すると、豊かさがやってくるという、別バージョンもある。
2年前に仕事をやめてから、私は定収入がまったくなくなってしまった。今もそう。でも、貧しくなったという感覚がまったくない。精神論ではなく、実際にそうだから。
まず、タダで家に滞在させてくれる友達が2人ほど現れた。そのどちらもすばらしい環境で、思索にふけり仕事に集中できる適度な孤独と静けさ、綺麗な湧き水や無農薬、オーガニックの食べ物へのアクセスなど、必要なすべてのものが、ゆたかにそろっていて、好きなだけ使うことができる。ただ違うのは、それらはすべて私のものとして所有していないだけ。いま、現在、使うことはできるけれど、将来の保証はない。でも今、現にこんなにしあわせでゆたかな生活ができれば、なぜ将来のことを煩い、保証を得る必要があるんだろうって思う。
それで、ますます今のゆたかさを思いっきり満喫。感謝して、お返しに、いい話ができるように、あっただけで気持ちが明るくなるような祝福できる人でいつづけるように、瞑想に励み、楽しく仕事を続けてる。
そんなふうに、手放せば手放すほどゆたかな今が手に入る。これも私が最近入り込んだ本当に不思議な流れだ、
不思議を不思議なまま満喫するのも悪くないけど、なぜそうなるのか、あらためて考えてみる。
まず、雇われ仕事をやめたことで、しなきゃいけない束縛がぐっと減り、時間だけでなく、心に余裕ができた。それにつれて、人間関係を大事にして、ひととしっかり、丁寧に向かい合うことができるようになったせい。
安定した職について、未来をコントロールするのをやめると同時に、人間関係も利害関係でコントロールするのをやめてしまい、なるだけ、すべてのひと、すべての出会いがひとしく大切に見える自由なところに身をおいてる。そうすると、心と心が芯からよろこぶような純粋な出会いができるようになる。
すると、愛とつながりが充満した、あったかいご縁が縦横無尽につながる世界の住人になれる。その中からいろんなものがまわってくるようになる。たとえば今私がいる時空のやどもそうだ。
この宿の始まりは、ログハウスに住みたいねとかねがね話していた私の友達のカップルが、くるみの木の苗をいらないかと声をかけてくれた脱原発廃炉の会で出会ったおばあさまの家に、苗をもらいに行ったこと。するとその家の敷地にログハウスが建ってる。亡くなった大学教授の旦那さまが、学生たちが泊まり込みで研修できるようにつくった家の離れのログハウスで、もう使わないので売りに出したところだという。そこで私の友人カップル、買うお金はないけど、貸してくれますかと交渉し、安い値段で借りて住み始めた。もともとみんなのために作られた場所なので、みんなになるだけ開放して、イベントに場所提供しているうちに、人がワイワイ集まる場所になってきた。遠くから人がくることもあり、宿泊場所を提供するには、でもログハウスだと手狭。すると、そのおばあさまが、同じ敷地内に建っている母屋の方も借りて使ってくれないかと提案。私の友人はお金のない国の構想に夢中になっていて、ではこの家を「お金のない国」のはじまりにして、泊まる人から一切、お金を貰わない代わり、何かその人の才能をつかったお礼をそこにおいてもらうポリシーで運営したいと話すと、おばあさまのほうでも、そういうつもりなら、家賃は一切いらない、好きに使ってくださいとのこと。ずいぶん長い間空き家だったせいで、とてもすぐに住めるような状態ではなかったけれど、友人連の協力できれいにお掃除。先月「時空のやど」という名前でオープンしたばかり。
私はここに好きなだけ滞在しながら、そこの記帳に英語で感想を書いていった人の文章を日本語に翻訳したり、『奇跡のコース』のお話をしたりして、返礼してる。お話会にこれまで来てくれた人の中に自然食品店を経営しているひとがいて、そこからのオーガニックの食料品が台所にぎっしりつまってるし(いただいたものなのか、友人が買ったのかは不明)、お惣菜をおすそ分けにきてくれる人などいて、ここにきて3日目なのだけど、使ったお金は2〜300円くらいかな? なのに、とっても贅沢している感しきり。
このとびっきり贅沢で幸せな時間も、そのおばあさまと友人が出会い、友人と私が出会い・・・といったご縁のおかげだし、そこで繋がった人たちが、とびっきりの人たちだったせい。そもそもこの家が、築30年以上経った今も居心地良い住まいとしてあるのは、そのおばあさまと亡くなっただんなさまとの創造力と労働と、維持管理のおかげ。彼らの寛大さが、友人のギフト経済熱と出会って共鳴したおかげ。その友人には、お掃除手伝いにかけつけたり、オーガニック食材を分けてくれる人のご縁もあって、場所の気は本当にゆたかになるばかり。そしてその末端に、私も関わらせてもらってるおかげ。私と友人は、私の本で何より深く結びついてる。
そんなふうに愛とつながりがたっぷり充満した世界にいる限り、私たちは欠乏を知らない、豊かな世界にいきていけるってことのいい例になってる。
愛とつながり充満したご縁の複雑系に住み続けるコツは、
利害、保証など一切考えず、自分のすべてを贈り続けるのをやめないこと。
何かが足らないから、それを埋め合わせる動き方をしないこと。コントロールを放棄すること。特に人間関係。手放しながら、種から芽が出て、大きく育ってるか観察するように、生命と豊穣、増殖がすすむようにゆるく手綱をとるくらいがいいのかな。
by makikohorita
| 2016-08-18 15:17
| 新しい世界をつくる!