人気ブログランキング | 話題のタグを見る

草の根文化の苗床

makikohori.exblog.jp ブログトップ

現実になるまで夢見れれば、現実を気にする必要もなくなる!


現実になるまで夢見れれば、現実を気にする必要もなくなる!_a0301410_15314448.jpg
アナスタシアの話をすると、男性に多いのだけれど、実話とは信じられない、作り話ではないのか?という人がいる。それに対する私の返答は、次の通り。物質的に実在していてもいなくても、ウラジミール・メグレが本の中で描いた彼女のイメージに動かされて、人生が変わった人たち、各地でエコビレッジ作りに乗り出した人たちは、現にたくさんいる。つまり、彼女のイメージは、パワー全開で実在していて、今現に、世界を形づくっている。だったら、それで十分じゃない?
 

例えばイエス・キリストが本当にいたかを実証的に調べている人たちがいる。仮にそんな人、歴史的に実在していなかったことが分かったとしても、だからと言って、彼にインスパイアされたり、彼の名の下にこれまでなされたこと全体の重要性(あるいは深刻性)が消えるわけではない。


スピリチュアルに生きるということは、私たちの様々な「思い」から、どんな世界が、今、生まれつつあるかを、日々、少しずつ大きくなる赤ちゃんを見守るように、大切に見守ること。それがとてもいいものだったら、もっと健やかで豊穣なものになるように助けの手を差しのべたり、育みに参加することじゃないかって思う。


「事実はどうなの?」「客観的に存在したの?」とジャッジするとき、私たちは、そこから自分を切り離す。ジャッジメントは、強力な切断力で、自分を相手と切り離すナイフのようなもの。ジャッジする人は、相手を貶めることで、自分が優位に立てると思って、ほとんど知らない領域にまでしゃしゃり出て判定を下そうとすることもしばしば。自分こそこの現実の全能の作者だといいたげだ。でも、実際にはジャッジして現実を決めつけるほど、そこから新しいことを学ぶチャンスも失われ、その人の現実は一面的になっていく。気がついてみたら、紙でできたおもちゃの国の王様だった・・・みたいなことになりかねない。


そうやって自分を切り離す代わりに、そこに働く創造力につながり、参加するのが、スピリチュアルな態度だと思う。それがどんなに欠陥だらけに見えても、その欠陥をどう生かして、素敵なものができるかを考え、即、行動に移す。病んでる人を見ても、そこにも刻々と働き続けている生命力の方に注目して、これを促すためにできることを、何でもする。同情して一緒に落ち込んだり、「これはひどい」といジャッジして、そこから自分を切り離す隙をうかがう暇なんてどこにもない。ワンネスとは、神秘的な合一感である前に、まずは実践的なものなんじゃないかって思ってる。


思い」の創造力


しかしどんなひどい状態を目にしても、そこに良きことが生まれつつある様子を見とどけたり、促したりできるようになるためには、焼け野原の大地を目にしても、足元に顔を覗かせるちっちゃな雑草に気づき、注目するような、生命に対するするどい感受性を培う必要がある。人の「思い」、夢が持つ創造力に対する、絶対的な信頼もいる。


「思い」こそが現実をつくっていると、アナスタシアも強調している。十分なエネルギーを注ぎこまれ、五感に訴え、ふさわしい感情をかきたてるイメージになるほど具体的に、かたどられた思いは、そこから新たな現実が生まれる卵、胚珠のようなもの。自律した生命を持ち、生き生きと、息づき始める。それは、遅かれ早かれ、物理的な現実に現れざるを得ない。


だから、もしそこに、純粋で、愛情深い、すばらしい思いに満たされたイメージがすでにあって、それに対応する現実が今のところ見つからなくても、それは大したことじゃない。「夢物語だ!」などといって否定するなんてもってのほか。逆に鼓舞して、応援してあげるべきなのだ。とくにそれが、これからどんな形でも取り得る、生きたものの成長に関わる場合には!「キリストを生んだと心から信じる親たちが、キリストを本当に育て上げる」と、別のところでアナスタシアがいったように。それは、現実に反しているのではなくて、現実になるために、もう少し時間と、エネルギーがいるだけに過ぎないのだから。


そのことを考えても、あるイメージが、現実に実在するのか?という問いは、ナンセンスになる。だってそのイメージは、今、現に「実在」して、私たちを動かしているのだから。私たちがそれを繰り返し思い出して、そこに十分なエネルギーを注入すれば、遅かれ早かれ、物質的な現実にも反映されるのだから。

 

実際、「ものが大切か、思いが大切か?」という問いに、「思い」と答える人がほとんどだとしても、実際、そのことを日々の生活に落とし込んで、行動であらわしているひとはといえば、ずっと少ないように見える。


とくに、科学的な事実や実証が問題になる場面では、物理的現実にまだ反映されておらず、だからそれと対応していない思いは、素気無く切り捨てられてしまいがち。「思い」の方が大切だと思ってるのなら、そんな人に対しては、こういうべきだろう。「もう少し待って。そして疑わないで。そしたらきっと、物理的現実にも反映されるから」。


私個人としては、客観的に、事実を捉えようとして、みすぼらしい現実を塗り固めるよりも、とにかく最高のイメージをつくって、その現実性を決して疑わないでいたい。それを強く念じて、それが実現したようすを全身で感じて、焼け野原に生えた最初の雑草のようなそのどんなに小さな萌芽も見逃さず、大喜びして、励ます! そうやって、そのイメージにたえず、確信という創造のエネルギーを注ぎこみ、ある日、必ず、堂々とした現実としてまかり通るようになるのを待つ。夢をひたすら望み、その「客観性」だとか「現実性の有無」と言った余計なことは考えない、いたってシンプルだ。


by makikohorita | 2016-08-22 15:38 | アナスタシア
line

人を、社会を動かす文化発信力を鍛えるには? スピリチュアリティ、アート、アクティビズムなどについて、調査、実践してわかったこと、日々思うこと。


by 堀田 真紀子
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite